ヤマモティさんの書き込みを拝見して、丁度ネタ切れ状態ですし、2004年発売の106号を買われたとあったので、第13回クラシックカーレビューイン日本海の想い出等を書こうと考えUPしました。
それと咳込が見られ、目が醒めてしまい、体調を整えてから寝ようとも思ったもので今UPとなりました。
この写真は表彰後受賞者皆が集まり記念撮影しました。あの時の審査員は確か・・・ノスヒロ編集長、CG編集長が居た筈で、特に今は亡きM編集長が当時審査した筈です。
初出場でまさかこんな栄誉有る表彰を受けるとは思いませんでしたね、だって糸魚川に集まる旧車は名だたる旧車が多く、それこそ「継ぎはぎだらけ」みたいな私の車は選ばれるとは思いませんでした。
そもそも糸魚川に自走で参加するには、正直自信が無かったですね。確かにその前年には2度福島に出かけたし、2004年はどうにかK師匠のガレージまでは自走しましたが、それは師匠より修理をして頂くので故障しても師匠にSOSを求めれられる!と云う安堵感があり糸魚川までの自走は大丈夫なのか??と思った物でした。因みにこの年の5月~8月までオーバードライブの修理やら細々とした修理を依頼しました。
それと当時はナント!「当時もの」ホワイトリボンタイヤだったのです。まさか100キロで走るとは想定せず、80キロ以内で走り、当時ものでも何とかなるだろう!と云う安直な考えで走りました。(その後の第16回クラウンピクニックにもこのタイヤで横浜まで走りました。今思えば怖い事していました。)
尚今の職場に就職してから2~3度は農作業や草ヒロに出ている平成4年式のクラウンで糸魚川に見学で出かけまして、遠さは判っています。ただ救いだったのは国道7号線が高速道路並みに走りやすく車に負担が少ない事ですね。
実はこのイベントは私自身が雑誌を見て参加したのではありません。3代目クラウンオーナーとして有名なAさんのお誘いがあったからですし、常日頃このイベントは面白いとあり、いずれは参加したいと私自身思っていました。まぁレストアから2年なので大分車も安定したと考え思い切りました。
糸魚川でのイベントでは先ず、前夜祭に参加するとよりイベントを楽しめるとあり、必死で実行委員会が斡旋したホテルに予約を取りました。ノンビリしていると直ぐに満室になる凄さです。
それと2004年の土曜日は確か曇りの天気だったと記憶していますが、イベント当日「ドエライ」大雨でした。
余りの激しい雨に「こりゃ~参った・・・」でしたね。それが忘れられません。確か台風が発生したと記憶しています。今もそうですが、海岸線を走る「シーサイドパレードラン」と市街地を交通安全標語を掲げて走る「交通安全パレードラン」に参加するイベントですが、当時は高速走行は自信がなくて市街地パレードを選びました。
それとあの日はシーサイドパレードランの時間帯はかなり激しい雨で、とてもじゃないけど当時の私には無謀な事でした。但しパレード前の開会式の時間だけ雨が収まる奇跡があった事は忘れられません。
所が・・・お昼近くなると段々と雨脚が弱くなり、昼食時間帯には完全に止んでパレードは晴天の中での実施となりました。なんと云う奇跡なんでしょうね、むしろ暑いくらいになりました。
さてパレードから帰還すると大○保実行委員長より「日本海大賞ですよ!」と囁きがあり私は「ハヘ・・・?」ナンノコッチャ?と云うのが初めの正直な感想でした。
すると一番の賞としりビックリ!
受賞理由が「平素から大切にしている事が判る」との理由でした。確か当時宿泊したホテルに日本クラシックカー協会の会長が宿泊しあの時(土曜日)ワックスがけした記憶があります。これは遠くのイベントに行くとよくやります。
受賞した時、30年近くに渡る苦労が色々蘇りましたね、でも同時にその苦労がいっぺんに記憶から抹消され、「あれ~、俺何したっけ?」となりました。
さて、あれから12年の月日が流れましたが、2004年当時と比べわがクラウンは確実に日常使用ができるレベルになりました。むしろあの当時は「マダマダ発展途上段階」で確実に今の方が日本海大賞が相応しいと自分で思います。
あの後ですが確か「華麗なる一族」に出演しないか?のお誘いがありました。但しこれについては題名が初めから知らされたのではなく、数名のエキストラの名前と概要を聞かされましたが、私は
「まず、ダブルクラッチ操作ができる俳優さんでないと私の車は乗りこなせないし、コラムシフト操作に熟練した人でないとマトモに走らせられない、ガタがきてではなくて、当時のトヨタ車の特性だし、それが嫌ならトヨタの旧車はきっぱり諦めなければならないよ。」とはっきり云いました。あの時私立探偵濱マイクに出た車の話にもなりまして、色々関わったので判りますが、やっとやっと走った状態なのであれよりは楽な筈だけどと話しましたが、調査結果は「ダブルクラッチ操作は出来ない」となりお断りしました。
「華麗なる一族」の制作会社と濱マイクの制作会社は一緒だった事も付け加えます。
あの時思った事は「ダブルクラッチ操作ができるドライバーの最年少が私かな?」と正直思いましたね。そんな私ももう40歳を大きくオーバーしましたので、旧車運転が出来る者が居なくなるのもそう遠くないでしょう。