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Channel: 高村円淨のブログ
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酒田大火40年

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 昨日29日で40年でしたが、思わぬ事故にて本日のUPとなりました。
 発生は昭和51年10月29日の17:40頃で出火元は映画館グリーンハウスのボイラー室からとされていますが、一時期観客のタバコの不始末とか漏電もありました。
 何でも建物は戦前の建築で老朽化も進み(映画館は昭和24年創業)既に創業者は退職して久しい、末期的な状態の映画館でした。
 
 この日酒田の観測所は風速26M程で(別の市内の場所では30M)かなりの強風でした。ですから未曾有の大惨事となり1774棟の家屋が焼失、1003人の負傷者、1名死亡(酒田市消防局の消防士)でした。これは戦後4番目の大参事と云われ、昨日も全国版でニュースが報じられました。
イメージ 1
 火災前の昭和47年の駅前。よ~くみると、アーケードが建っていますが、これが大参事の原因になりました。
 木造家屋が多く、アーケードが火の通り道となり消火を阻み大参事となりました。
 因みに火災当時もこの地区のナンバーは山形で、車検も山形市漆山まで来なければなりませんでした。
 昭和54年より庄内地区のナンバーが誕生します。
イメージ 2
 激しく燃える市街地。この映像私は3歳6か月に間もなくなろうとしていましたが、記憶に残って居ます。

イメージ 3
 これは記録にありませんが、当時山形県全域から消防が応援に駆け付けました。比較的庄内に近い西村山行政区域の消防がやや遠い最上行政区域の消防と比べて酒田市への到着が遅かったと云われています。
 モタモタしていたのではありません。
イメージ 4
 以前出したか判りませんがこれです。六十厘越が原因で思う様なスピードが出せず到着が遅れました。
イメージ 6
 これ等の写真は昭和35年ですが、あれから16年ですから交通量も飛躍的に増えて道がもう対応できません。
 当時は現道を工事していたが未だ始めて間もなく進捗はそれ程でもありません。
 消防車ばかりが走っていたのではない時代ですから、この細く危険な道を一般車両をよけながら走るから、スピードが出せません。
イメージ 5
 記憶に残る中では昭和53年ここを走りますが、トンネルこそ名川隧道位でしたが、鬱蒼とした曲がりくねった道を走った記憶は今も残って居ます。
 この車で私が最初で最後に乗ったのが昭和53年でし
た。でもこれが昭和53年の夏だとしたら、親父は大変難儀して消防車に道を譲ったでしょうね。

 現道は(R112)昭和54年完成です。


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